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札幌地方裁判所 昭和55年(ワ)5006号 判決

原告

草野ヒデ子

被告

野村和男

主文

一  被告は原告に対し、金五〇八万五三二二円及び内金四五八万五三二二円に対する昭和五三年一〇月二九日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、

1  被告は原告に対し、金一五〇六万四六八五円及び内金一三七六万四六八五円に対する昭和五三年一〇月二九日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

1  原告は左記の交通事故(以下「本件事故」という。)によつて傷害を負つた。

(一)  日時 昭和五三年一〇月二九日午後五時二〇分頃

(二)  場所 岩見沢市岡山町国道一二号線路上

(三)  加害車両 被告運転にかかる普通乗用自動車(旭五む六六七八)

(四)  被害車両 訴外島田實運転、原告同乗にかかる普通乗用自動車(札五五ゆ七〇九)

(五)  態様 雨のため徐行していた被害車両に後続の加害車両が追突

2(一)  原告は本件事故によつて頸部捻座、腰部挫傷の傷害を受け、昭和五三年一〇月三〇日から昭和五四年五月一四日まで市立美唄病院に入通院の上治療を受けた(入院は昭和五三年一一月一四日から同年一二月九日まで二六日間、実通院日数は四八日)。

(二)  昭和五四年五月一五日、原告の腰痛、頸部痛、歩行時痛の神経痛様症状が固定したが、右症状は自動車損害賠償保障法(自賠法)施行令別表後遺障害等級表の九級一〇号に該当する。

(三)  原告は右症状固定後、現在まで定期的にあんま治療を続けているが、右症状は回復せず、更に歩行時に腰部を庇う左足に無理な力がかかつたため左足痛が昭和五四年一〇月頃から発現し、前記美唄病院に昭和五五年二月一二日までに一五回通院して治療を受けた。右症状も同じく前記等級表の九級一〇号に該当する。

3  被告は加害車両を所有し、これを自己のため運行の用に供していたのであるから、自賠法第三条の規定により、原告が本件事故によつて被つた損害を賠償すべき義務を負う。

4  原告が本件事故によつて被つた損害は以下の通りである。

(一)  入院 雑費 二万六〇〇〇円

一日当り一〇〇〇円として二六日分

(二)  通院交通費 四万〇三二〇円

往復タクシー代六三〇円で六三回分

(三)  はり治療費 二万円

原告が被告の承諾を得て行なつたものである。

(四)  昭和五三年一〇月二九日から昭和五六年四月二一日までの逸失利益 三九五万一一〇一円

昭和五三年度ないし昭和五六年度の各賃金センサス(第一巻第一表女子労働者、産業計・企業規模計・学歴計。但し昭和五五年度及び昭和五六年度はそれぞれ前年度の数字の五パーセント増しとする。)による女子平均収入額に原告が家庭の主婦であることから家事労働分として年額六〇万円を加算し、昭和五三年一〇月二九日から昭和五五年二月一二日までは労働能力喪失率一〇〇パーセント、(この期間は入通院による実際の治療期間であり、昭和五四年五月一五日の症状固定後も原告は家事労働ができず、自宅で療養していた。)、昭和五五年二月一三日から昭和五六年四月二一日までは同じく三五パーセント(原告の後遺症は少なくとも九級に該当し、現在も家事労働が半分位しかできない状況である。)として計算した。

(五)  後遺障害による昭和五六年四月二二日以降の逸失利益 五七三万七二六四円

原告の後遺障害は九級一〇号に該当し、労働能力の少なくとも三五パーセントを喪失したが、右状況が症状固定後一〇年間(昭和五六年四月二二日からは八年間)は継続するものと考えられるので、昭和五四年度賃金センサスによる女子平均収入額に昭和五六年まで一年当り五パーセントの割合による賃金上昇を見込み、家事労働分として年額六〇万円を加算した上、労働能力喪失割合〇・三五及び八年間に相当する新ホフマン係数六・五八九を乗じて計算した。

(六)  入通院に対する慰藉料 一〇〇万円

前記の入通院期間に対する慰藉料としては一〇〇万円が相当である。

(七)  後遺障害に対する慰藉料 五二二万円

原告の症状は一応九級に該当すると評価できるが、その実態は七級に近く、また回復の可能性が薄いとされる重症であり、これに対する慰藉料としては五二二万円が相当である。

(八)  填補分控除後の小計 一五九九万四六八五円

以上(一)ないし(七)を合計すると一五九九万四六八五円となるが、原告は被告から既に二一三万円の支払を受けたので、右金額をこれから控除する。

(九)  弁護士費用 一三〇万円

被告はその余の部分について任意の支払に応じないので、原告は本件訴訟の提起・追行を弁護士中島一郎、同品川吉正、同尾崎定幸に委任したが、被告に負担させるべき弁護士費用としては一三〇万円が相当である。

5  よつて原告は被告に対し、未払損害金合計一五〇六万四六八五円及び弁護士費用を除いた内金一三七六万四六八五円に対する本件事故の日である昭和五三年一〇月二九日からその支払の済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。と述べ、立証として、甲第一号証ないし同第五号証を提出し、原告本人尋問の結果を援用し、「乙号各証の成立は全部認める。」と付陳した。

被告訴訟代理人は、

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求め、請求の原因に対する認否として

1  第1項は認める。

2(一)  第2項(一)のうち、「腰部挫傷」は否認、その余(通院日数は四六回の限度で)は認める。

(二)  同(二)のうち、頸部痛が固定したことは認めるが、その余は否認する。

(三)  同(三)は争う。

3  第3項は認める。

4(一)  第4項中(四)ないし(七)は争う。本件事故による原告の後遺障害は自賠法施行令別表等級表の一二級に相当する。仮に原告の後遺症の程度がこれを超えているとしても、右症状は本件事故とは無関係の原告自身の身体及び年齢による要因から生じたものである。

(二)  同(八)は認める。同(九)のうち、原告が品川弁護士を委任したことは認めるが、その余は不知

5  第5項は争う。

と述べ、立証として、乙第一号証、同第二号証の一ないし五、同第三号証ないし同第六号証、同第七号証の一ないし九、同第八号証の一・二、同第九号証ないし同第一二号証を提出し、証人浅井登美彦の証言を援用し、「甲第五号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立(同第一号証ないし同第三号証については原本の存在とも)は全部認める。」と付陳した。

理由

一1  本件事故の存在・態様、当事者間の関係、本件事故に対する被告の責任原因については当事者間に争いがない。

2  原本の存在及び成立に争いのない甲第二号証によれば、原告は本件事故によつて頸部捻挫及び腰部挫傷の傷害を負つたこと、右治療のため市立美唄病院に昭和五三年一〇月三〇日から翌昭和五四年五月一五日まで四八回通院(但し昭和五三年一一月一四日から同年一二月九日までの二六日間は入院)したことが認められ、また証人浅井登美彦の証言によれば、原告は更にこの後昭和五五年二月一二日に至るまで一五回同病院に通院したことが認められる。

3  本件における最大の争点は、原告が本件事故によつて負つた傷害及びその後遺症の具体的程度であるから、この点についていま少し詳細に検討するに、前記甲第二号証、成立に争いのない同第四号証、証人浅井登美彦の証言及び原告本人尋問の結果によれば、以下の通りの事実を認めることができる。

(一)  原告は本件事故直後から、首、肩及び腰の痛みを訴えたところ、美唄病院の主治医はレントゲン写真によつて、腰椎には異常は見られないが、頸椎の一部には椎間孔狭少化の現象が見られることから、頸椎捻挫による一過性神経痛様症候群と診断し、原告の首に軟式カラーを巻かせた他、投薬と湿布を行なつた。

(二)  事故後約一〇日を経ても原告は腰痛を訴えるので、主治医は牽引治療を指示したが、はかばかしくなく、結局原告は同年一一月一四日から二六日間同病院に入院し、腰部の牽引、マツサージ、注射、投薬等の治療を受けた。原告は入院当初は頸部痛及び頭痛の他に右腰痛が甚たしく、歩行は人の手を借りたり、物につかまつたりして辛うじてできる状態であつたが、退院時には相当痛みが取れ、静かに歩くことができるようになつた。右退院の頃にもレントゲン写真を撮つたが腰椎、頸椎とも初診時と格別の変化はなかつた。

(三)  本件事故から約半年後の昭和五四年五月一五日、主治医は、原告は引き続き腰痛及び頸部痛を訴えているが、右神経痛様症状は固定したものと診断した。この頃、レントゲン写真によれば本件事故との因果関係は必ずしも明らかではないものの原告の腰椎に軽度の変形があり、前屈時においては腰痛及び頸部痛が特に著明であつて、主治医は、右神経症状は、労働基準法施行規則別表身体障害等級表九級七号の二(自賠法施行令別表後遺障害等級表九級一〇号と同じ)に相当するものであつて、今後数年以上の経過を必要とし、腰痛が激化した場合には一時的にも通院治療が必要であつて、回復の可能性は薄いと判断した。

原告は退院からこの頃まで、休んでいると痛みが少ないことから、家事は概ね家族等に任せ、自宅で横になつていることが多かつたが、退院後半年を経た頃から家事も徐々にできるようになつた。症状固定の診断後も、原告は頭痛のする時には通院して注射、マツサージ等の治療を受けていたが、足も痛むようになつたとして、この頃数回はり治療を受けた。

(四)  原告は昭和五五年夏頃から、家事はほぼ一人でできるようになつたが腰や首に負担がかからないように留意を要し、また頭痛で人手を借りなければならない時も月に数回はあるが、専門の家政婦を雇つたことはない。昭和五五年二月一二日以降は通院しなくなつたが、自宅にマツサージ機を用意して現在でも毎日使つている。家事以外は横になつていることが多く、買物は数日に一回程度しているが、遠出は疲労が大きく難しいという状態である。なお原告はこれまで本件事故以外に、病気、負傷をしたことはない。

4  さて以上の事実から原告の本件事故による労働能力喪失の割合を考えてみると、本件事故の日から入院中の期間を含めて昭和五三年一杯は一〇〇パーセント、昭和五四年一月一日から退院後約半年を経て症状固定の日である同年五月一五日までは二分の一(五〇パーセント)、右以降は四分の一(二五パーセント)でこの状況は右症状固定の日から少なくとも五年間は継続するものと見るべきであろう。

成立に争いのない乙第四号証によれば、本件事故当時被害車両に同乗していた三名のうち、傷害を負つたのは原告だけであることが認められるが、同号証の他、成立にいずれも争いのない同第三号証、同第五号証、同第八号証の一・二によれば、本件(追突)事故は、その衝撃によつて被害車両の後部バンパーが外れた上、約一・五メートル押し出され、運転者の眼鏡が飛び、原告のかつらが外れる程のものであつたことが認められるから、通常安全枕のない後部座席にいた原告が事故の衝撃で首をまともに大きく振り、前示認定程度の傷害に至ることはあり得ることである。また腰部の状況についても、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故以前は(体格・体質は本件事故の前後を問わず格別の変化がなかつたと考えられるところ)全く問題なく家事の傍ら飯場の賄いや大工仕事の手仕ができる程であつたことが認められるから、本件事故後の原告の腰痛が本件事故によつて生じたものであることは否定し得べくもない。前記甲第四号証中には、昭和五四年二月の段階で「(原告は)雪まつりに行つてから腰が痛む」との記載があるが、原告が腰痛で入院を余儀なくされたのは前記の通りその前年の一一月であるから、右記載も前記因果関係を否定するに足りない。

しかしながらその反面、症状固定時以前においても、自宅で療養する過程において、事事が全くできないという状態であつたとは思われないこと、主治医が原告の後遺症を九級と判断したのは、前記甲第四号証及び証人浅井登美彦の証言によれば一二級か九級かといういわば二者択一の中で一二級ではないという判断から九級を選んだものに過ぎないという状況が認められること、原告は症状固定時に「回復の可能性は薄い」とされながらも、その後徐々に家事に戻れるようになり、昭和五五年夏頃から家事を概ね一人でこなせるようになるまで回復していること等の事実から考えると、症状固定とされる時期の前後を通じて前述した程度以上の労働能力の喪失割合及び喪失期間を想定するのは相当でない。

(なお被告申請にかかる鑑定を採用せざる理由について一言するに、右鑑定事項は原告の後遺症が自賠法施行令別表の何級何号に相当するかというものであるが、本件においては原告の主治医浅井登美彦の詳細な特別診断書(甲第四号証)及び証言があり、その余の診断書及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告の後遺症の程度を認定するに十分である。右認定に更に鑑定が必要だということであれば、自賠責査定事務所による後遺症の認定にも一般に鑑定を要することになるであろう。また後遺障害の程度は被害者の逸失利益及び慰藉料を算出するための重要な基準ではあるが、人身事故による後遺障害は多様な内容を有するものであつて、これが自賠法施行令別表の等級表のいずれかに必ずあてはまり、次いで直ちに逸失利益及び慰藉料の金額が一義的に導かれるというものではないから、場合によつて右のような鑑定は十分の意味を有しない。)

二  進んで原告が本件事故によつて被つた損害について判断する。なお原告の主張する損害のうち、(一)ないし(三)については被告の明確な認否はないが、弁論の全趣旨によれば被告はこれを争つているものと解されるので、併せて判断する。

1  入院雑費 一万八二〇〇円

原告が二六日間入院したことは前記の通りであるが、これが昭和五三年当時のものであることを考えると、入院雑費としては一日当り七〇〇円が相当であり、従つて二六日分では一万八二〇〇円となる。

2  通院交通費 六三〇〇円

原告の通院回数は六三回(四八と一五の和)となるが、原告本人尋問の結果によれば原告はバスで通院した事実もあることがうかがわれ、またバスを利用しても片道の通院時間は三〇分に満たないことが認められるから、本件事故による損害として被告に請求し得るのはバス代に止まるものと解するのが相当であろう。当時の美唄におけるバス料金は明らかではないが、どんなに安くとも一往復で一〇〇円を下回ることはないと考えられるから六三〇〇円の限度でこれを認める。

3  はり治療費 二万円

原告本人尋問の結果及びこれによつて成立の認められる甲第五号証によれば、原告は昭和五四年二月頃、本件事故に起因すると考えられる足の痛みを緩和するためにはり治療を受け、二万円を要したことが認められる。

4  本件事故当日から昭和五三年一二月末日までの休業損害 二八万五八八八円

原告本人尋問の結果によれば、原告はいわゆる家庭の主婦であることが認められるが、昭和五三年度賃金センサスによれば、全年齢女子平均給与額(産業計・企業規模計・学歴計)は年額一六三万〇四〇〇円(一日当り四四六七円)であるから、これを用いて右六四日間の休業損害を計算すると二八万五八八八円となる。なお原告の主張する家事労働分加算はこれを採用ない。本件の如く原告が他に職業・収入を有していない場合には右趣旨の加算は不相当であると考えられるからである。

5  昭和五四年一月一日から原告の症状固定の日(同年五月一五日)までの休業損害 三一万六六四三円

前項と同様の計算方法を用い、昭和五四年度の賃金センサスを基準として年額一七一万二三〇〇円、一日当り四六九一円)として右一三五日間の休業損害(但し前記の通り労働能力喪失率は五〇パーセントという。)を算出すると三一万六六四三円となる。

6  症状固定の日以降の遺失利益 一八六万八二九一円

前述した原告の後遺障害に対する判断(労働能力喪失割合二五パーセント)に従い、前項同様昭和五四年度の賃金センサス(原告主張の如く、昭和五五年以降毎年五パーセント宛必ず平均賃金が上昇したものとすることはできないから右数字を基礎とする他はない。)を基準として、五年間に相当する新ホフマン係数四・三六四四を順次乗じて計算すると一八六万八二九一円である。

7  入通院に対する慰藉料 七〇万円

前述した原告の入通院に対する慰藉料は、入通院の期間・態様・頻度等を考慮すると七〇万円が相当である。

8  後遺症に対する慰藉料 三五〇万円

原告の後遺障害の状況についても既に述べた。これに対する慰藉料としては、現段階における症状の他、昭和五四年五月の症状固定の段階においては主治医が労働基準法施行規則別表身体障害等級表九級七の二に相当すると判断した程度のものであること等を勘案して三五〇万円をもつて相当と認める。

9  填補分を控除した後の小計 四五八万五三二二円

以上1ないし8の合計は六七一万五三二二円となるが、原告が被告から既に二一三万円の支払を受けていることは当事者間に争いがないので、右金額を控除すると残金は四五八万五三二二円となる。

10  弁護士費用 五〇万円

原告が本件訴訟の提起・追行を弁護士中島一郎、同品川吉正及び尾崎定幸に委任したことは本件記録によつて明らかであるが、前項で述べた認容額小計に本件口頭弁論に現われた一切の事情を考慮して、五〇万円をもつて本件事故と相当因果関係を有する原告の損害と認める。

三  以上の事実及び判断によれば、原告の本訴請求は前記未払損害金合計五〇八万五三二二円及び弁護士費用を除いた内金四五八万五三二二円について本件事故の日である昭和五三年一〇月二九日からその支払の済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを正当として認容し、その余は理由がないのでこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言については同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文の通り判決した次第である。

(裁判官 西野喜一)

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